石井さんの今日要

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グリンスタイルを10年やってみて

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10年経ちました

気持も新たに、ドキドキしながら税務署に事業の開業廃業届けを提出しに行きました。そして機械的にあっさりポンとハンコ押されました。「え?それだけ...」と意気込みが空回りで始まったことを覚えています。気づいてみればそれから11年目の9月を迎えています。 実際に書き起こしはじめてみると”10年”というキャラクタが自分ごとであると思うと大きなインパクトを感じています。

いまの感じ方をアウトプットしてみます

いま私は、グリンスタイル株式会社という事業形態上は法人の会社をやっています。とはいえ実質フリーランス的な動き方で、大まかにはWeb/IT/デザインと言った方面の仕事をしています。今日この機会なので自分をまとめるためにもいちど遡って書き並べておくことにします。

§1.グリンスタイルの起源となった要素

大きく遡って学生時代

いまの流れはすべて大学1年の夏に始まったと思います。"ものづくりがしたい。”単にそれだけでデザイン学科の大学へと入学しました。高校まではガチガチの体育会系方面でした。デッサンもできなければ美術もやりこんだことがありませんでした。なので、入学はしたものの、美大予備校や高校のデザイン科出身の同級生達からすればまったく出遅れた状態でした。

Power Book 3400 買った

そんなある日、とある教授からMacintoshIllustrator (当時はVer 5)を使ったデザイン手法を紹介する講義を受けました。まだその当時デザインにパソコンを使うなどという偏見と否定的な意見の教授も多数だったこと覚えています。しかし自分には、これだ!と言う確信がありました。早速夏休みにPower Book 3400 を購入しました。当時車を買ってもお釣りが来るような値段でした。そして未だ野のもの山のもとも知れないような四角い物体だったこともあり、家中を巻き込んでのケンカ問答になったことをよく覚えています。

Mac はデザインしてくれなかった

そして、夏休みのうちにIllustratorを猛勉強しました。後期からは早速、課題制作にMac を取り入れていきました。これで自分も他の学生と同じぐらいの課題が提出できる!その時自分はとても大きな勘違いをしていました。実際に課題講評のときには、圧倒的にしょぼかったことを覚えています。そこではじめて気づきました。「デザインは道具がしてくれるものではない、Macが使えてもデザインやものづくりができるわけではない」そんな基本的なことに気づかされました。

GoLive と出合う

それでも自分にはIllustrator しか術が無かったのには変わりません。このツールを通じて大学での課題をこなしながら学びを深めました。そのころ大学には当時としてはいち早く光回線も配備されていました。そんな大学3年の夏に今度はGoLive と言うソフトに出合いました。当時HTML はまだ3.2ぐらいの時代だったと思います。私はもちろんコーディングができたわけでもありませんでした。そのころホームページを作れることが少し流行でかっこいいと感じていました。そこで出合ったのがGoLive でした。このソフトはIllustrator な感覚でホームページを作れるソフトでした。これにはとても心躍りました。HTMLが書けなくてもホームページがデザインできる。これができれば先進なインターネットの世界とデザインが融合するような仕事ができる。すごく印象的なできごとでした。

それでも何故かプロダクトデザインの勉強

当時ホームページづくりに興味も抱きつつも、実際にはプロダクトデザイン(立体物のデザイン)を専攻していました。とはいえ、三次元なソフト(当時はSTRATA や Shade が全盛だったかな?)を使うこともなく、ひたすらIllustrator で紙に図面を書いては切って立体的なカタチにすることで卒業研究制作をやっていました。

「ことをデザインする」への到達

卒業研究制作では最終的に、紙を折り曲げてつくる、IH加熱が可能な紙のお皿をつくりました。このお皿の研究でひたすらIllustrator で引いた図面をケント紙にプリントアウトする。そして切り出して試作すると言うことに半年明け暮れていました。おかげで部屋中がケント紙の立体物だらけになっていたことをよく覚えています。

はじめのうち、この研究制作ではIH加熱可能な紙皿をデザインしているつもりでいました。 しかし、本筋はそこではかったことを次第に解っていきました。紙を折り曲げて作るところで生まれるコミュニケーションづくりをしていたのです。そしてそのためのツールをデザインしていると言うことを研究を進めるうちに理解していったことを覚えています。そのなかで教授に言われた「ことをデザインする」というフレーズがありました。この言葉がその後の自分の大きなテーマとなっていきました。

グリンスタイルの起源となった要素

あらためて学生時代をふりかえってみるといまの起源となるできごとがたくさんありました。Macintoshと出合ったこと / Illustratorと出合ったこと / Macはデザインしてくれないこと / 早くにインターネットに触れたこと / GoLiveと出合ったこと / 「ことをデザインする」と言う言葉 /これらの要素との出会いがでいまがあると言えます。そしていま自分は"グリンスタイル"という造語と共に生きていなかったと思います。

§2.素敵な勘違い

とりあえず就職した

大学を卒業後、企画と印刷物を主としたデザイン会社に就職しました。インターネット・マルチメディア分野の事業展開をするとのことで新卒採用していただきました。

これがデザイン制作会社〜理想と現実とのギャップ

しかし実際は大きなギャップがありました。社内事情もあり印刷物の制作アシスタントとして、文字詰めやカンプの製本作業で原稿台に向かう毎日を過ごしました。さらに、学生時代のバイトで、某家電量販店のPCサポート部員をしていたこともあり、Mac や機材がトラブルを起こせば復旧作業にかり出されていました。ひとりIT課状態でした。それでありながら、ホームページ制作もやっていかなければ行けませんでした。

いろいろ厳しかった

そんな環境で2年近く働きました。もちろんカラダも壊しました。当時、十数名いた社員が誰ひとりとして何ヶ月と休みを取らないこともありました。勤務時間も10時ー翌2時ぐらいが恒常化していました。それでいて学生のとき、週3で入っていたバイトよりも月収は少ない状態でした。成果査定でも不利でした。印刷物ベースな会社だったため他の人は目に見える形で紙媒体の制作物を提出していました。それに対して自分は画面のなかのホームページです。その当時では当然物量感や階層てきな作りで見えないことなど理解されませんでした。なので「全く何も作っていない」ぐらいの評価しかありませんでした。

自分でやるか

勤めていた会社は代理店からでも1次請けをするぐらいの企画・デザインレベルでした。大手の企業からも直取引をすることもありました。なので、経験値を積むと言う意味では良い機会はたくさんありました。しかし、いろいろとバランスの悪い組織だったと思います。(いまはどうか解りませんが。)

そんなある日、マルチメディア分野でフリーランス独立したという方が会社に飛び込み営業でやってきました。そして、その方に外注先として何本が仕事をお願いするようになりました。その方を通じて、業界の外の状況を知るようになります。まるで鎖国時代の出島のような感じでした。

そして、半年も経たないうちに会社を辞めてしまうことにしました。事実上ケンカ別れのような状態だったと覚えています。思い返してみれば、よくある社会性に乏しい1年目、2年目社員の不平不満な次元だったと思います。自分でやっても何とかなりそう、当時そんな錯覚を抱いていました。

とりあえず開業した

会社を辞めました。そして半年の準備期間をとりました。完全にじり貧な生活環境で資金もありませんでした。結局、国金さんで開業資金を借りるためにとりくみました。事業計画やら業務実績やらいろいろと提出したり面接を受けたりしました。最初の金策にはとても苦労しました。とはいえ、いま思えば、当時の計画書や数字はあまりにもオママゴトすぎたと思います。実績もカッコヨク書いたつもりでしたが、かなり変でした。ここでやっと、”企業の名前でいままで仕事をしていたこと"の大きさを知ることになりました。(開業したことのある人は経験することのようですが...。)

ホント世の中なめすぎてた

無謀にも新卒後たかが2年ちょっとの勤務での独立をしました。会社在籍中に営業など外廻りをしていたわけでもありません。正直コネクションもほぼ皆無でした。さらには財務会計の知識があったわけでもありません。経営理念や年次事業計画を立てるという概念すらありません。それでも訳のわからないITなら大丈夫という勢いはありました。

結局、当時そんなステキな勘違いな「想い」だけで独立してしまったわけです。案の定、数ヶ月のうちに事業は行き詰まりました。行き詰まった理由の中には、不払い未払い踏み倒しなどもありました。これらもすべて世間知らず、商道徳知らずによるものでした。良くも悪くも遭遇するであろう商トラブルはとことん経験することになりました。そして行き着いた果ては、冷たいシャワーと100均で食料をあさる生活でした。

時代に助けられたかも

いま思い返せば様々な面で、すさまじいぐらいの自殺行為だったこと思います。ぞっとします(笑)。それでもなんとかやってこれたのは、いわゆるITバブルな時代だったからだと思います。そして良い意味で「若かった」ことだと思います。 大げさに言わなくても、ホームページが作れればお金にはなった時代でした。そして、「ベンチャー企業」というフレーズがもてはやされた時代でもありました。そんな中で奇しくも辞めた会社でしっかり鍛えられたデザイン的な基礎力を買ってもらえるところがありました。そしてホームページが作れたことをもてはやしてもらえました。それらを少しずつ積み重ねることができました。そのおかげでなんとかなったのかも知れません。

なんとか仕事になって来た

一般的に「独立して3年のうちに7割が廃業する」と言われます。つくづくその洗礼をひととおり受けたと思います。なんとか3年目に突入しました。その頃には、何社かの代理店や企業の決定権のある方達からよくしていただき、少しずつ仕事の話しが大きくなってきました。ちょうど会社法も改正された頃でした。いわゆる1円起業ができる時代になり法人化の敷居も下がっていました。そんなこともあり、お付き合いの責任上や売上げ税務対策的な理由から法人化することへと至りました。

§3.向くべき方向

6期目まではなんとか

おかげさまで、この地方では名のある企業や団体様のホームページ制作を何社とさせていただけるようになりました。行政や教育機関へのIT技術指導なども依頼を受けるようになりました。様々な仕事を経験する機会をいただくことができました。法人化してから数年間は安定的な成長をすすめることができました。

ヨコ展開が始まった

Webの制作はCMSが主流になりつつある時代でした。私もその流れに乗っかりました。そしてクライアントのサイトはほとんどをCMS化しました。さらには、勉強会ブームが到来していました。様々なところで学べる機会が増えていきました。同業者同士で知り合える機会も増えていきました。ほんの少しの間でしたが勉強会を運営するお手伝いにも携わりました。

良くも悪くも独特な世界

最近はあえて勉強会には率先して関わらなくなりました。多くの同業者と知り合えて切磋琢磨するきっかけを与えてくれました。いまでも多くの方と良好な関係を築かせていただいています。良いことも楽しいこともたくさんありました。先生や仲間と呼べるような人も増えました。しかしその逆もありました。同じ業界とはいえ所詮は別の企業の人間の集まりなのです。「意図せずだった」と信じたいですが、業務ノウハウやソースを持って行かれたこともありました。一社員の非常識な振る舞いで企業間でのトラブルになったこともあります。コミュニティーでの関係を悪くしたところもありました。

客をみろ

相手がある話です。そして人間同士の話です。当然集まればイロイロあります。その中で何より間違っていたことは、自分自身が深入りしすぎたことでした。横ばかりを向いてしまっていました。あげくはお客さんをみていませんでした。それは覿面に業況に出てきました。当時あるお客さんから言われました「客を置き去りにするな」と。言われて気付きました。それまで自分が積み上げてきたクライアントへのアプローチスタイルはどうだったか。そしてその数年間やってきたことはそれとは逆行していました。結果として大半のサイト行ったCMS導入がクライアントの心離れを起こしていました。自己満足でした。本来クライアントの所有であるはずのものをWeb制作者の所有物にしてしまいました。さらには勉強会運営に注力した結果、お客さんと接する機会を減らしていました。

想定外は必ず起こる

当時年間で安定して7桁コースで収益をあげさせていただけるクライアントが少なくとも6つはありました。仮にもし、何かあって立て続けに3つぐらい転けても、廃業するようなことはないだろうという体制を築いてきたつもりでした。それが6期目(8年目)です。更改時期が重なりました。プロポーザルを落としました。一気に5社無くなりました。創業時以来の危険な状態に急転落しました。年間売上げは一気に1/3になりました。

もうIT/Webは特別じゃない

どうしてこういう状況に陥ったのか、最初はまったく理解もできませんでした。いろいろ考えました。周りを見ていませんでした。すでに無料でそれなりにサイトが作れるサービスは乱立していました。そしてSNSも全盛を迎えようとしていました。だからもう、ある種の「Web制作は特別である」という聖域間はなくなり始めていたのです。

事業体としての意識

そう考えてみると、カタチだけは法人で、それらしいことをしていない自分がいました。企業運営もろくに知らないままでした。財務の基本や経理の基本も知らないままでした。自分で意図して決算書を動かせる事業運営もできていませんでした。そんな制作だけやっているようなところにしかなっていませんでした。それではどんな企業も代理店も仕事を任してくれはくれません。今更ながらあらためて、基本的な事業運営の勉強をし直しました。

やることを替えるとき

あらためて企業経営理論、経営法務、経営情報、運営管理など中小企業診断士の学習の基本となる内容を浅くながら学び直しました。その結果、同じ客先でも全く別のところで本当にWebやITが必要なところが見えてきました。そこにはWeb制作のトレンドがどうかなど、重要性はありませんでした。加えて時代はSNSのが全盛を迎えようとしていました。もうWebを作る時代でなくなっていました。Webやそのサービスは如何に活用する時代かに論点は変わったと感じました。そこで、制作よりも、教育要素を強くした運用支援的なICT提供へのシフトが始まりました。さらには受託制作から顧問・コンサルティングを主軸にする業態遷移をはじめました。

§4."こと"をデザインする

おかげさまで、いまでは受託制作のときには考えられなかった時間の余裕が生まれてきました。その時間を使って、もう一度自分の事業のミッションや理念・方針を考え直す機会を持ちました。

グリンスタイルとは

もともとグリンスタイルとはgrin(=にやっとする、思わず笑う)と style(=カタチ、スタイル)の2単語を組み合わせて作った造語です。思わずにっこりできるシーンづくりという発想には発端となる考え方がありました。それが大学時代にはじめて学んだ「ことをデザインする」と言うことす。ことのデザインを達成したとき人はどうなるのか−。それを10年前の自分は"GRINSTYLE"という語として答えを出しました。しかしそれは、いま思えば「自分が一方的にすごいモノを提供して想像を超えた驚きを与えたい」そんなワガママだったように感じています。

いまの自分のこたえ

幸いにも10年さまざまな人のお世話になりながら食べてくることができました。ここまで書いてきとおり大きな失敗ばかりしてきました。小さな視野ながら世の中も少しは見てきました。ITの時代も終わりICTな時代にもなりました。WebやITが、もっともっと直接その事業を助けられる存在でなければならないと思うようになりました。そんなミッションも自分の中に再定義できました。こういう経験を経てきました。そしていまは"こと"をデザインするとはこうだと考えています。

「できごとを創りあげる」

できごとを創るためには、昔抱いたような、ちっぽけなクリエイティブ精神のでは成り立ちません。自分ひとりががんばっても達成することはできません。相手の良さやコンテンツの良さを活かさなければ達成することはできないと思います。相手の良さに対して、これまで培ってきたIT / ICTなテクニックを負担にならないように取り入れてもらうことで、新しい"できごと"を創るお手伝いをしていきたい。そう考えています。

§5.ICTコンサルタントとして

本日9月1日から、私は肩書きを「ICTコンサルタント」と称することにしました。これはITコンサルタントでもありません。経営コンサルタントともニュアンスは異なります。自分が持つIT/ICTノウハウを相手のコンテンツと融合させて共に新しいできごとを創るための係の名前のつもりでいます。

コンテンツを持っているレイトマジョリティへ

コンサルタントと聞くと、能書きを指導したりフレームワークを提供するイメージがあるかも知れません。私はそこには興味はありません。そして相手にしたいお客さんにはそれは無意味だと考えています。世の中にはまだまだICTなノウハウやスキルを持っていない人はたくさんいらっしゃいます。それでいてとても素敵なコンテンツを持っている人たちはたくさんいらっしゃいます。そんな人たちに基礎的なリテラシを提供する仕事をしていきます。

薄っぺらい仕事です

「あんな薄っぺらい内容のセミナーをありがたみを持って聞いている参加者がかわいそう」先日あるところで、エンタープライズ有識者の方からこんなご意見をいただきました。わたしはそれでよいと思っています。役割が違うと考えています。その有識者の方の見識では100のものは当然100でなければならない。そう言う強さがありました。それも必要です。否定もしませんし認めます。私にはできないすごいことです。私は私のできることをやります。まだ0にもなってないひとを1にする。そこから10にする。20にする...。そんな仕事をしていきます。私は0の人が1になるすごいことをしていきます。その先に40の人が100になる仕事があると思っています。

残念なできごとはたくさんみてきたから

これまで度々、どんなにトレンドに則った正解の制作物を創っても却下される。そんな経験は自分もしてきました。そして同業他社の嘆きもいくつも聞いてきました。ではなぜそんなことが起きるのかを考えなければなりません。それは先に書いたとおり0の人に100を提供するからだと思います。だから何が良いとされていて、どう使えるのか。良さが解るユーザーを増やしたいのです。そのためにリテラシのあるユーザーを少しでも増やす活動をしていくつもりです。

ご協力ください

私はこれから先、少なくとも5年ぐらいは、このポジションで事業を展開していこうと考えています。だからリテラシが0の人が20とか40のぐらいまでになったときに協力してくれる方達が必要なのです。そのことがささやかながら、業界内のPieの取り合いの緩和にも貢献すれば良いかなとも考えています。まだまだ始まって数年の取り組みです。でも、確実に結果は上がってきています。いまはまだ、リテラシが40の人がすぐにでてくるとは言えません。しかし必ず必要になるときが来ます。そんな時、もしも石井から相談を受けたら快く応対していただけると幸いです。

超長々と結局15年分ぐらいを振り返りを基に、今の考えをアウトプットしてみました。次は3年後のグリンスタイル株式会社法人設立10周年をマイルストンまで力まず、ゆっくりとやっていこうと思います。引き続きみなさんよろしくお願いします。